坂本龍馬と友達になりたいぜよ!
家建士®︎のたぁです。
今日は、
Project ATKが影響を受けた
2人の「おじ」についてのお話を。
2人の「おじ」は両者ともに
たぁのおじさん。
たぁの家はとにかく親戚が多く、
拓磨呂が十勝に来てから
名前と顔を覚えるのが
大変なくらいでした。
その中でも
2人とも大きな影響を受けた人です。
まず1人目。
たぁの母の兄で
じいちゃんの跡を継いで
鉄工場を経営していたおじさん。
言葉は少なく乱暴で
見た目もちょっとこわい人。
だけど、とにかく大きくて温かい。
義理と人情で生きている人でした。
Project ATK立ち上げ当初
まだまだ力不足で
例えば
トラックが必要だ、道具が必要だ...
ここぞ!という時に
鉄工場に行って、おじに
「貸して下さい」とお願いして...
いつも快く力になってくれました。
「いつでも来いよ」
そう言ってくれました。
両親にはなかなかお願い事は
言いづらいことも
おじさんには言えていた気がします。
返せることがない中で
冬までもうすぐというある日、
おじさんが建てる倉庫の測量と
地杭入れの手伝いを頼まれました。
おじさんと一緒に働いた
最初で最後の仕事です。
「手間代払うぞ」と言われましたが
良いだけお世話になっていたので
「絶対要らない」と断って...。
後日、おじさんから
新品の測量道具「レベル」と「三脚」
が届きました。
測量の度に
鉄工場に行って借りていた道具
「レベル」
とても高価なものです。
困っていると思ったのか
おじさんが中古を見つけてきてくれてそれを愛用していたのですが、
「いくら言っても
手間代受け取らんし
あれ、
中古だったからそろそろ新品使え」
と言って渡してくれたのです。
なかなか買えないものなので
本当にびっくり。
その時
恩返しってなかなかできないものだ、と、つくづく思いました。
春が来て、
わが家の基礎をつくっている頃
そのおじさんは他界しました。
本当に本当に
温かくてでっかい人だったので...。
もし今、生きていたら
ペラペラ喋る様な感じではないけど
もうちょっと
仕事の話をしたかったと思います。
おじさんの
義理と人情を感じたかった...と。
今でも、仕事で
おじさんがくれたレベルをのぞく度
おじさんを感じて
感謝してもしきれない思い出が
いっぱい溢れてきます。
2人分まとめて書こうと思ったのに
長くなってしまったので
もう1人の「おじ」については
また後日。笑
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